ニッポン維新(185)09年政権交代を総括するー13

消費増税を掲げた菅民主党は参議院選挙に敗れました。1年前に「4年間は消費税を上げない」と約束したにもかかわらず国民を裏切った結果です。国会に「ねじれ」が生まれ、民主党は自らの政策を自力で成立させることが出来なくなりました。
参議院選挙に敗れた総理は退陣をするものです。宇野宗佑、橋本龍太郎の両総理は直ちに退陣を表明しました。法的な決まりではありませんが、国民の支持を失った総理が延命を図れば、政治の混乱を招いて国民生活に影響するからです。ところが07年の参議院選挙に敗れた自民党の安倍晋三総理は続投を表明しました。自分の延命だけを考えた前代未聞の判断です。しかしこの未熟な総理を自民党は辞任に追い込みました。インド洋での海上給油活動を国際公約していた安倍総理は、自衛隊の活動を延長するためにすぐ国会を開く必要がありました。しかし自民党は内閣改造に時間をかけるべきと主張してすぐに国会を開かせず、海上給油活動は中断されることが確実となり、安倍総理は国際社会から嘘つき呼ばわりされる事態に追い込まれます。そのため病気を理由に退陣表明せざるを得なくなりました。総理を辞めさせる事で自民党は最悪のダメージを回避しました。
安倍総理に続いて続投を表明したのが菅総理です。この総理も自分の権力維持だけを考え、国民の審判の重さやその後の政治の混乱に思いを寄せる事はありませんでした。ところが問題なのは民主党の対応です。自民党とは対照的に「総理がころころ変わるのは良くない」と言って続投を支持したのです。国民が利益にならないと判断した権力者を「ころころ変えて」どこが悪いのでしょうか。民主主義で最も優先されなければならないのは国民の審判です。しかし民主党は国民の審判を無視したのです。
権力奪取に目を奪われて政権交代の歴史的意義を考えず、国家の在り方を大きく変えたはずの「大連立」を反民主主義と批判し、戦後の日本を操ってきたアメリカや明治以来の統治機構の中枢にいる官僚機構と戦う戦略を持たず、それら旧来の権力からの攻撃に遭うと政策を後退させてきた政党が、ついに国民主権を無視するようになったのです。
残された最後のチャンスは参議院選挙直後に行われた民主党代表選挙でした。民意の支持を失った菅総理を再選させるのか否かが、国民注視の中で行われました。対抗馬となったのは検察権力から狙い撃ちに遭った小沢一郎氏です。政治的な損得勘定から言えば小沢氏は出馬しない方が傷を負わずにいられたかもしれません。しかし国民が支持したマニフェストを覆し、さらに国民から不支持の判定を下された総理を権力の座に居座らせるのは民主主義に反する。それが小沢氏を出馬に踏み切らせた動機だと思います。
結果は小沢氏の敗北でした。これが初めて政権交代を成し遂げた国の民主主義のレベルです。こうして民主党政権は次の総選挙で政権を明け渡すことが必至になりました。昨年12月の総選挙は自民党が勝利したと言うより民主党が勝利させたと言うべきです。その結果、かつて自民党が総理を辞めさせた安倍晋三氏が総理に復帰しました。「政治は一寸先が闇」とはまさにこのことです。
安倍政権は民主党が不人気になったポイントを突いて支持を高めました。国民の心を冷え込ませたデフレ下での消費増税を後方に追いやり、大胆な金融緩和と財政出動を前面に掲げて景気回復を宣言しました。アメリカの経済動向も追い風となって株高と円安が進行しています。しかしこれは実体経済を伴わない期待感だけの政策で、景気回復が格差を拡大させれば逆に社会を不安定化させる恐れがあります。
戦前、安倍政権と同じように大胆な金融政策で日本をデフレから救った高橋是清は二・二六事件で青年将校に惨殺されました。格差に苦しむ農村の怨念が青年将校を突き動かした結果です。普通選挙法が施行され、大衆が初めて選挙に参加して、政権交代の政治が実現してからわずか8年後の事でした。権力奪取だけを考えた政権交代が結果として民主主義を殺した事を戦前の歴史は教えています。
09年の政権交代はこれまで述べてきたように冷戦後の日本の生き方を模索するものでした。しかし歴史的意義のある政権交代は、過剰な期待と過剰な恐れの中で最終的に民主主義を無視する方向に動き、歴史的意義を見失わせました。そして日本はいまだに冷戦後の国家戦略を構築できずにいるのです。感情論に流されずに09年の政権交代を総括する事が必要です。そこからしか日本の冷戦後は始まらないと思います。(完)
これで「ニッポン維新」の連載を終了いたします。
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