「カモシカ・やっしー」の知られざる逸話とは?
2000年10月15日投開票の長野県知事選挙の際に誕生したのが、カモシカ・やっしー(Ya’ssy)です。
県議会議員の大半と、119自治体に上る県内の市町村長が、対抗馬の元副知事を相乗り推薦する中、北海道、岩手県、福島県に続いて全国4番目の面積を擁し、南北220kmにも及ぶ長野県で、“グラスルーツ”な選挙戦を田中康夫は展開しました。
9月28日の告示日に先立ち、旧制松本高等学校跡地の「あがたの森」公園で2時間半に亘って政策発表を行った9月13日に、披露されたシンボルマークが、長野県の県獣・羚羊(かもしか)を摸したカモシカ・やっしーです。
「タモリ倶楽部」のソラミミストとしても著名なイラストレーター、アートディレクターの安齋肇さんがデザインを担当しました。
6年間の任期中、スーツの襟元に付けていたカモシカ・やっしーのブローチにまつわるエピソードも、お伝えしましょう。それは、選挙戦中の10月4日早朝、宿泊先のビジネスホテルに塩尻市の女性が届けて下さったのが始まりです。当日付の「田中康夫の東京ペログリ日記」から再録します。
「共に身障者なれど献身的奮闘を続ける、塩尻市在住M夫妻が愛娘と共に来訪。安齋“ソラミミスト”肇氏がデザインの、ちょっぴりお腹が出ていて脚も太くて短めなシンボルマーク“カモシカ・やっしー”のブローチをフェルト地で仕上げて下さる」。
その百瀬明美さんは、ポプリを忍ばせたブローチの裏側に、「しなやか」「まけるな」といった言葉を1個毎、刺繍して、当選後もガラス張り知事室へ届けて下さいました。
幼稚っぽい。県知事の威厳が感じられない。教育県に相応しくない。恥ずかしい。
等々、守旧派の面々からは罵詈雑言を浴びせられました。が、百瀬さんに象徴される、幾多の困難に打ち克ち、自律的に生きる県内各地の真っ当な方々の為に奉仕するサーヴァント・リーダーたり続ける。こうした哲学と覚悟を抱いて、1日も欠かさず、ブローチを付けていました。
知事を退任した2006年8月31日、山の中で飛び跳ねる生活に戻りたいというカモシカ・やっしーの意思を尊重し、襟元のブローチは取り外しました。
但し、着ぐるみのカモシカ・やっしーは、その後も参議院、衆議院の選挙には応援に駆け付け、皆のアイドル的存在でした。
又、シールを剥がした後の名刺に現れる太陽さん、お月さま、ハート、お花は、「『脱ダム』宣言」、「『脱・記者クラブ』宣言」を始めとする一連の変革に抵抗する県議会が知事不信任決議を可決し、出直し知事選となった2002年8月、昼も夜も愛情の花を咲かせましょう、と同じく安齋肇氏がデザイン下さったマークです。
なお、「カモシカ・やっしー」は、「カモシカ・」を省く場合は、「やっしー」でなく「ヤッシー」と表記されます。
ヤッシー動画は、こちらでお楽しみ下さい。ヤッシーの様々な表情もお楽しみ頂けます。