ニッポン維新(105)改革のためにー5

日本経済を高度成長に導いた冷戦体制はソ連崩壊と共に終わりました。アメリカは一国で世界を支配する超大国となります。世界各国は新たな時代にどう適応するかを議論し始めましたが、日本の政治にそうした議論は皆無でした。ロッキード事件以降、日本政治の最大課題となった「政治とカネ」の問題が与野党攻防の最大テーマで、この時もリクルート事件やゼネコン汚職の議論に明け暮れていました。

その間隙を突くように、アメリカは冷戦後の一極支配体制に日本を組み込みます。宮沢総理とクリントン大統領との会談で両国は協力して規制改革と競争政策を進めていくことが合意されました。それに基きアメリカは毎年「年次改革要望書」を提出し、日本経済をアメリカの要望に沿う形に改造し始めます。

一方、ソ連の崩壊によって日米安保条約は意義を失いました。本来は両国がそれぞれの立場で改めて自国の安全保障問題を考え、新たな協力関係を構築する時でした。しかし日本国内にそうした議論は起こらず、アメリカ側から「アジアには中国と北朝鮮があり、冷戦は終わっていない」と言われたまま、日米安保条約が再定義されました。専守防衛の自衛隊は米軍の一翼としてアメリカの世界戦略に組み込まれます。

振り返ると、冷戦が終わるまでの日本には現在よりも「自立」の意識があったと思います。日米安保条約を締結した当時は、それが日本を従属国の地位に貶めるものだと認識しながら、戦後復興を優先させるための戦略と考えていました。いずれは「自立」を考え、米軍を「番犬」に見立て、飼い主の意識がありました。日本経済が高度成長を遂げると、金のない米軍にさらにエサ代をはずむという「思いやり予算」が組まれました。

ところが平和に安住しすぎた日本には「自立」の気概が薄れていきます。米軍の駐留がなければ日本は破滅するかのような言い方がまかり通るようになり、冷戦を経済成長に利用してきた戦略が、いつしか米軍に守って貰うためアメリカに金を支払うようになります。北朝鮮の核疑惑と台湾有事を騒ぐことで日本に米軍依存が強まりました。元来アメリカは中国や韓国に対し、日米安保条約は日本を自立させない「ビンのふた」だと説明してきましたが、日本から進んでその通りになったのです。

世界を見ずに「政治とカネ」の議論に明け暮れた日本の政治に、しかし変化が訪れました。冷戦の崩壊は野党第一党の社会党を凋落させます。日本にもようやく「政権交代可能な二大政党制」の誕生を望む声が高まりました。「政治改革」の議論の中から小選挙区制が導入されることになり、その過程で長らく政権与党であった自民党が分裂しました。

紆余曲折はありましたがそれが09年の政権交代につながった訳です。その政権交代で日本は国家の構造を一新させる新たな方向が打ち出される筈でした。それは戦後の高度経済成長をもたらした成功要因からの脱皮です。アメリカの庇護の下で官僚が司令塔になり、政界や経済界がそれに協力し、ピラミッド型の構造で工業製品の輸出に力を入れ、農業セクターを公共事業で保護してきた体制からの脱皮です。

それはこれまで体制の中心にいた既得権益から権益を奪う作業ですから簡単なことではありません。与党経験のない民主党にとっては極めて難しい作業です。権力の中枢を経験し、官僚機構がどういうものかを熟知しているのは、自民党を離党して民主党に合流した小沢一郎氏ら少数しかおりません。

国の構造を変えられたくない勢力からすれば、そこに楔を打ち込んで民主党の分断を図ろうと考えます。07年の参議院選挙で自民党が大敗し、衆参「ねじれ」が起きたとき、既得権益の側は政権交代が秒読みに入ったことを実感した筈です。その参議院選挙の開票日に、私は「小沢氏は必ずスキャンダル攻撃の標的になる。それ以外に自民党が政権を続けられる方法はない」と予言しました。2年後の衆議院選挙直前に不幸にもその予言は的中しました。小沢一郎氏の秘書が東京地検特捜部によって突然逮捕されたのです。(続く)