ニッポン維新(117)民主主義という幻影―3

IPU(列国議会同盟)という国際組織があります。世界各国の国会議員で構成され、スイスのジュネーブに本部があります。かつてこの会議に参加した日本の国会議員は、アメリカやイギリスの議員から「日本ではテレビで国会を中継しているそうだが、それは民主主義にとってよろしくない」と批判されたそうです。国民に国会審議を見せれば大衆に迎合する政治家が出てきて、民主主義は劣化すると言われたのです。今ではアメリカにもイギリスにもテレビで議会を中継する仕組みはあります。しかしそれは1979年以降に議員たちによる長い議論の末に作られたものです。ところが日本ではNHKのテレビ放送が始まった1950年代から当たり前のように「国会中継」は行なわれてきました。それが民主主義先進国の議員にはポピュリズム(大衆迎合)になると思われたのです。

国会をテレビで国民に公開するのは、「民主主義」そのものだと日本人は考えます。ところが民主主義の本場の国々では逆に民主主義を悪くすると考えられます。民主主義を巡るこの考え方の違いを我々は良く考える必要があります。

日本の「国会中継」を民主主義にとって良くないと批判していた頃、アメリカでは大統領が議会で一般教書演説を行なう時だけはテレビの中継を認めていました。国民が選んだ大統領の議会演説は国民に見せる必要があると考えるからです。しかし議員同士が議論をする本会議や委員会をテレビで公開する事は認めませんでした。ポピュリズムに陥ると考えるからです。アメリカが議会中継を認めるようになったのは1979年の事でした。

イギリスではテレビが家庭に普及した60年代から議会をテレビで公開したらどうかという議論はありました。60年代半ばにはテレビ中継を認める法案が議会に提出されました。しかしやはりポピュリズムを懸念する声が強く、法案は提出されるたびに否決され、テレビでの公開が認められたのはベルリンの壁が崩れた89年になってからでした。

一方、日本では当たり前のようにNHKで「国会中継」が放送され、国民はそれを見て政治を理解させられてきました。「理解させられてきた」と書いたのは、誰がどのようにして決めたのか分かりませんが、「国会中継」は国会で行われている審議のすべてではなく、一部の特定の審議だけが中継され、国民はそれを国会の姿だと思わされてきたからです。

NHKの「国会中継」は、衆参の本会議場で行われる総理の施政方針演説や所信表明演説とそれに対する各党の代表質問、そして委員会では総理大臣以下全大臣が出席する予算委員会の「基本的質疑」が中継の対象です。最近では参議院の決算委員会なども中継されるようになりましたが、それでも国会審議の一部に過ぎず、国会議員の議論の全容が中継されている訳ではありません。

従ってテレビの中継が行なわれる本会議や委員会は特別のものです。「今日はテレビが入った」と言って議員たちは国民を意識した議論を始めます。議論を交わすというより自分を如何にアピールするかに力点が置かれます。取り上げるテーマも国民受けを狙ったものになります。その結果、本当に議論しなければならない事が議論されているとは限らなくなりました。

これがアメリカやイギリスの議員から批判された「ポピュリズム」の弊害です。しかし日本人にはまったくそうした意識がありません。むしろ国民に迎合した議論の方が民主主義的だと思っています。こうして日本の国会は欧米の議会とは異質なものになりました。予算委員会では予算の中身の議論をするよりも、政権与党のスキャンダルを暴く方が国民には受けるので、野党は「政治とカネ」のスキャンダル追及に力を入れるようになりました。(続く)