ニッポン維新(97)国民主権を阻む壁―12

明治以来の官僚勢力が作り出した民主主義抑圧のための仕組みが現行憲法の中に紛れ込んでいます。それが「ねじれ」となって戦後の日本政治を混乱させています。占領下の日本政府は「ねじれ」で重要法案をことごとく阻止され、GHQという絶対権力の力を借りて政治を進めるしかありませんでした。独立後にはそれも出来なくなり、保守合同によって巨大与党を作り「ねじれ」を解消させました。

「ねじれ」から解放された自民党は一党支配を続けながら高度経済成長を実現します。冷戦を利用し、国家の安全保障を米国に委ねる形で、日本は経済大国への道を突き進みました。ところが冷戦が終わるとその構造が崩れます。官僚が司令塔になり自民党と経済界が一体となって経済を追及する体制に綻びが出ました。

ベルリンの壁が崩れた年の参議院選挙で自民党は大敗し、33年ぶりに「ねじれ」が復活します。自民党は思うような政権運営を続けられなくなり、政治は混迷を重ねるようになりました。政治改革が叫ばれ、様々な取り組みがなされました。一党支配の政治構造を変え、政権交代可能な政治体制が求められました。やがて「ねじれ」は自民党を追いつめ、日本に初めての政権交代が実現しました。

国民は初めて選挙で自民党に代わる民主党政権を誕生させました。それが新たな政治への突破口になると思われましたが、民主党政権が誕生してみるとやはり日本政治の構造問題が壁のように立ちふさがっていました。一度だけの選挙ではこの国の政治は変わらない事が分かったのです。

政治改革の一環として叫ばれたマニフェスト選挙とわが国の政治の仕組みは噛み合いません。衆議院選挙でマニフェストを掲げ、国民に政策の約束をして政権を獲得しても、参議院で過半数を握っていなければ、マニフェストを実行する事が出来ないからです。政権与党は衆議院選挙の次の参議院選挙でも過半数を得ることが絶対条件なのです。

つまり野党が政権を獲得するためには、最初に参議院選挙に勝利して与党を「ねじれ」に追い込み、政治を混乱させて次の衆議院選挙で政権を獲得する。そしてまた次の参議院選挙で過半数を獲得しなければ、国民に約束した政策を実現する事が出来ません。

これは大変な事です。参議院選挙は3年毎に半数を入れ替えますが、その両方に勝ち、さらにその中間で行われる衆議院選挙にも勝つ事が、政党が掲げるマニフェストを実現する条件になるのです。選挙は振り子のように揺れるのが普通です。ある政党が勝利すれば次の選挙で国民は他の政党に票を入れる傾向があるからです。

アメリカでは大統領選挙の中間で上下両院議員の選挙が行われます。これを中間選挙と呼びますが、中間選挙では大統領に選ばれた政党が不利になり、議会と大統領府に「ねじれ」が生まれやくなります。しかしアメリカの「ねじれ」は日本のような混乱にはなりません。大統領は議会に対して拒否権を持ち、議会の決定を覆す力が与えられています。日本の総理にはその力がありません。アメリカ大統領は中間選挙に敗れてもその次の大統領選挙でまた振り子が振れ、有利な状況に持ち込むことが可能です。

ところが日本では総理が自分の政策を実現するためには、振り子を揺らさないような仕掛けをするか、或いは振り子が振れて思い通りの政策を実現できず、不安定な政権運営を続けるかのどちらかです。振り子を揺らさないためにはナチスのゲッベルスが得意とした大衆操作をする必要があります。

最近の例で言えば、福田康夫政権や麻生太郎政権は「ねじれ」によって混乱と不安定な政権運営になり、国民の心を政権交代の方向に向かわせました。一方、小泉政権はメディアを操作して大衆の心を酔わせ、選挙で巨大与党を作りました。日本の政治にはこの二つの極端な傾向が現れてくるのです。

国民が初めて選択した政権交代も明るい未来を作る事が危うくなりました。マニフェストで国民に約束した事を実現する前に、1年足らずで行われた参議院選挙に敗れ、野党の協力を得なければ何も出来ない状況に追い込まれました。野党は当然民主党のマニフェストの変更を要求してきます。国民への約束はその政策効果が現れる前に変更させられてしまうのです。

国民が民主党に見切りをつけ、参議院選挙で勝利した自民党に政策を託そうと思っても、こちらも実は参議院の過半数を握っていません。政権与党に返り咲いても福田政権や麻生政権のようになる可能性があるのです。どの政党のマニフェストも選挙で掲げられるだけで、現実には実現されない絵に描いた餅になる事が分かってきました。これでは国民主権を発揮して政権交代を実現しても何のための政権交代かが分からなくなります。(続く)