ニッポン維新(123)民主主義という幻影―9

イギリスで「パーラメンタリー・チャンネル」が始まると、サッチャー首相の反対論は杞憂に過ぎない事が分かりました。本会議中心のイギリス議会で国民が最も見たがったのは「クエスチョン・タイム」です。それは毎週水曜日の午後、30分だけ首相に直接質問が出来る時間帯で、首相と野党党首が論戦を交わします。日本の国会もこれを真似して1999年に「党首討論」を始めました。しかしイギリスと日本にはやはり違いがあります。イギリスでは下院本会議場を舞台に毎週定例で行なわれ、議員なら誰でも質問出来ますが、二大政党制なので野党第一党の党首の質問が最も多くなります。

下院本会議場に与野党の議員は向かい合って座り、与党側の最前列には内閣の閣僚、野党側の最前列には「影の内閣」の閣僚が並びます。議場中央の演壇に首相と野党党首が向かい合い、二人の距離は決闘で使われる剣と剣の切っ先が触れ合う程度とされています。つまり昔なら剣で決めた事を弁論で決しようという訳です。

これに対して日本では質問できるのが野党党首に限定されました。そして本会議中心主義ではなく委員会中心主義である事から場所も衆参の委員会で行なわれます。与野党が向かい合って討論する形式は同じですが、最も違うのは開かれる頻度です。日本は定例ではなく与野党が都合の良い時に開く事になりました。

何故なら、それまで日本では予算委員会の「基本的質疑」で野党が総理を追及してきたからです。予算委員会の「基本的質疑」には全閣僚が出席し、野党の党首や幹部クラスが質問を行ないます。つまりイギリスの「クエスチョン・タイム」に似た事を日本では既に予算委員会で行なってきたのです。

「党首討論」導入当時、与党の自民党は総理が国会に出席する週は「党首討論」をやらないと決めました。野党も長時間質問ができる予算委員会の方が政府を攻撃し易いと考えて賛成しました。その結果「党首討論」は定例でなくなりました。開かれる頻度は次第に減り、今では年に数回という程度です。

ともかくイギリス議会では毎週30分の「クエスチョン・タイム」が行なわれます。時間が短すぎると思われるかもしれませんが、短いために質問も答えもシャープになります。そして忙しい国民も楽に見る事ができます。しかも毎週ですから政治に対する国民の関心は持続します。

一方、日本の予算委員会は野党が入れ替わり立ち替わり同じ事をねちねちと攻め続けるのが通例で、朝から夕方まで丸1日もかかります。国民の多くは見る暇などありません。しかも予算委員会は毎週定例ではないので、与野党党首の論戦はイギリスよりも圧倒的に少ないのです。

さらにもう一つ決定的な違いは日本では「討論」ではなく「質疑」だという事です。「質疑」とは法律の条文を細かく問い質す事で、答える政府は反論する事が許されません。重箱の隅をつつくような質問が出れば、法案を作成した官僚に頼らざるを得なくなります。そのため官僚の用意した答弁書を読み上げる事が多くなります。ところがイギリスの「クエスチョン・タイム」は「討論」形式です。首相が野党に反論する事も可能です。

そのためテレビ中継が始まってみると、「攻める野党と守る与党」どころか、サッチャー首相が野党労働党の政策を「古臭い共産主義」とばっさり斬り捨てるなど、丁々発止の論戦が展開されるようになりました。そして国民の人気は野党ではなくむしろサッチャー首相に集まるようになったのです。(続く)