“平成の棄民”を許すな

16年前、50ccバイクでヴォランティア活動を続けた被災地で、今回の地震に遭遇しました。当初予算の衆議院通過直後、人工股関節全置換術を受け、選挙区の兵庫県尼崎市で入院中でした。
揺れが収まり病室のTVを点けると、名取川を逆流する津波が家屋や車両を呑み込む、尋常ならざる映像が映し出されます。即座に退院出来ぬ自身の体調を恨みました。
大阪湾での変調に備えて地元スタッフを尼崎市役所に向かわせ、新党日本が与党統一会派を組む国民新党の下地幹郎幹事長と連絡を取り、官邸に2点提言しました。
公共放送のNHKラジオ第2は福島から青森の県域毎、ライフライン情報に徹し、関東広域放送の茨城ではラジオ単営局の茨城放送に人員・経費を投入すべき。
飲料・食料、毛布、防寒着、ラジオ、充電済み携帯電話等を梱包した物資袋を、低空飛行の自衛隊ヘリコプターから集落毎に投下すべき。
が、何れも日の目を見ません。地震2日後に官邸で亀井静香代表が提案した具体的な4項目も実施されません。
家族、住居に加え多くの被災者が職場も失った今回、首相と経団連、連合の会長が合同会見し、各自治体、各企業、各組合が10名ずつの緊急雇用を発表するだけでも、民心は安定したでしょうに。
切歯扼腕し、医師の許可を得て退院を早め、地震から1週間後に仙台経由で、私は南相馬市へと入ります。10年来の知己である桜井勝延市長が奮迅する南相馬の住民は、「屋内退避」を政府から求められ、”被爆”を怖れて物資は届かず、”平成の棄民”状態に留め置かれていました。
風呂に入れぬ人々にドライシャンプーを手渡し、スタッフと共に2000食の温かい炊き出しを行った私は、次なる支援の方策を構築中です。
出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り。知恵を出す。体躯を動かす。金銭を出す。「ヴォランティア」に優劣の差はない。私の哲学です。