田中康夫の新ニッポン論 ㉕「イデオロギー」

「これぞ統治機構の大改革」と喧伝(けんでん)されたONE OSAKA“府市合わせ”構想とは一体、如何(いか)なる代物だったのでしょう?

「財政効果は年155億円に上ると訴え(讀賣新聞)」、「都構想実現後の成長戦略として橋下氏が挙げたのは高速道路や鉄道の整備、大型カジノの誘致(朝日新聞)」。

「新たな庁舎建設やシステム改修費で600億円程度かかる(日本経済新聞)」新手(あらて)のハコモノ行政と知ったナニワっ子は、若しや本末転倒な“不仕合わせ”構想ではと訝(いぶか)り、僅差(きんさ)ながらも否決。それが僕の見立てです。

豈図(あにはか)らんや、2008年2月に橋下徹氏が知事に就任して以降の7年間で大阪府は、財政力指数も経常収支比率も悪化し続け、実質公債費比率が18%を超えた2011年度以降、地方債発行に総務大臣の許可を必要とする“禁治産者”状態に転落しています。

“ハシズム”に審判が下った「5・17住民投票」翌日に「産経新聞」は社説で、「地盤沈下を食い止めるには、改革議論をストップしてはならない」と慨歎(がいたん)しました。

ニャル程。でも、「改革」って何ですか? この国の「かたち」という「制度」を弄(もてあそ)ぶ前に“隗(かい)より始めよ”の心意気で、この国の「あり方」を変えるべきではないんですか? 「小選挙区・比例代表並立制」こそ政策本位の政治を実現する世紀の大改革と唱和された21年前からの、僕の疑問です。

奇(く)しくも大阪府が“禁治産者”に転落した2011年施行のW選挙で、ナニワのウラジミール・プーチンこと橋下氏は首相改め市長に、その舎弟(しゃてい)たるドミトリー・メドベージェフこと松井一郎氏が大統領改め府知事に就任します。

即ち、「改革」ベクトルを同じくする2人の首長が共闘・協調すれば、納税者への顧客サーヴィスという「あり方」は、『大阪都』という「かたち」の誕生前から、容易に迅速に改善し得たのです。両社が合併せずとも阪神なんば線と近鉄難波線が相互乗入を開始し、神戸から奈良まで同一車両で移動可能な利便性が高まった様に。

が、立派な勉強部屋をこさえてくんないから一向に成績が良くならねぇと駄々を捏(こ)ね続けました。昔はミカン箱を机代わりにしたもんだ。お前さんが文教予算を減らしても図書館というハコ自体は残っとるし、行き帰りの電車でも予習・復習は出来るだろうよ。“地頭(じあたま)”を持ち合わせた納税者なら、「青空教室」で学んだ世代ならずとも一様に抱く違和感です。

にも拘らず、感性ならぬ“勘性”が鈍い「若手論客」は、「情弱(じょうやく)で守旧派な高齢者の老害投票」が招いた「醜悪なシルバーデモクラシー」とテレビやネットで息巻いています。呵々(かか)。それこそは同世代の「若年者」に唾する言動です。

「2万%引退表明会見」で“橋下ロス”に打ち拉(ひし)がれる「産経新聞」が投票日直前に実施した世論調査に拠(よ)れば、「都構想」賛成・反対の比率は20代男性が33・3%と46・4%、20代女性が17・1%と60・0%。一目瞭然・歴然たる数値。仮に20代が棄権せずに投票所へ足を運んでいたなら、更に大差で否決されたでしょう。

二項対立思考の団塊世代はダサい、と異議申し立てする一方で、「教養主義」が潰(つい)えた後に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する「反知性主義」とも我々は一線を画す、と豪語していた筈の面々が皮肉にも、「若者VS老人」「官VS民」「保守VS革新」「都会VS地方」といった、多分に不毛で「イデオロギー」的な二項対立の自家撞着(じかどうちゃく)に陥っています。

偏差値的な「形式知」=弁護士に象徴される資格試験の“士族”として世の中に登場したが故に、良くも悪くも「教養」とは無縁の“地頭”を用いて生きる「暗黙知」の国民よりも鈍感力が増してしまった、「情弱=情報弱者」振りです。