(84)アメリカという権力―10

民主党政権が誕生して日米関係は大きく変わりました。自民党の小泉政権がアメリカの意向通りに実現させた「郵政民営化」の方針が一転します。日本郵政の社長が民間銀行出身の西川善文氏から元大蔵事務次官の斉藤次郎氏に代わった事が象徴するように、300兆円の金融資産は市場原理に任せるのではなく国の管理の下に置く姿勢が示されました。

金融危機後の世界経済は不安定な状況にあり、各国とも経済に対する国の関与を強めていますから、情勢に見合った妥当な変更だと思います。金融危機の震源地であるアメリカはこれに露骨に反発する事は出来ませんでした。しかし民主党政権によって何よりも変わったのはアメリカ側の要望を聞くための日米規制改革委員会が廃止された事です。

日本とアメリカの間では貿易摩擦が激しくなった80年代後半から、お互いが相手の経済構造のおかしな部分を指摘し合う「構造協議」が続けられてきました。お互いと言っても貿易赤字を抱えているのはアメリカですから、アメリカの貿易赤字を減らす事が目的の話し合いです。

その構造協議の延長上に設けられたのが日米規制改革委員会でした。日本経済の強さの秘密を解き明かし、日本を弱体化させるために「大蔵省、通産省、東京大学」を「日本の三悪」と呼んだクリントン大統領と宮沢総理との間で始められました。日米規制改革委員会には毎年「年次改革要望書」が提出され、日本はアメリカの要望に沿う形で「改革」を進めてきました。

「お互いにおかしな構造を指摘し合う」のが「日本の経済成長を助けるために指摘する」に変わります。アメリカの言う通りにすれば日本経済は成長するという言い方です。「成長させてその果実を貪るのはアメリカではないか」と私などは意図を勘ぐってしまうのですが、小泉政権はこれを忠実に実行しました。「小泉構造改革」とはアメリカの「年次改革要望書」に応える事でした。郵政民営化も勿論「年次改革要望書」に沿って行われました。

従って霞ヶ関の官僚にとって「年次改革要望書」に応える事は重要な仕事でした。ところがそれが民主党政権になって変わりました。日米規制改革委員会が廃止され、「年次改革要望書」もなくなりました。ある霞ヶ関官僚は私に「アメリカ通商代表部はさぞかし怒っているだろうな」と言いました。

そのためかどうかは知りませんが、安全保障問題で鳩山政権はアメリカから手痛いしっぺ返しを食いました。日米間の懸案であった沖縄の普天間基地の移設問題でアメリカ側の強い反発に遭ったのです。鳩山前総理は自民党政権時代の「日米合意」を見直し、普天間基地の代替施設を名護市の辺野古地区ではなく、「県外か国外に移転する」と昨年の衆議院選挙で訴えました。

そうした発言の背景にはアメリカのオバマ大統領の登場があったと思います。普天間基地の代替施設として辺野古にV字型の滑走路を建設する計画が日米で合意されたのは2006年の事です。日本は自民党の小泉政権、アメリカは共和党のブッシュ政権の時代でした。しかし2009年にアメリカには「チェンジ」を掲げたオバマ政権が誕生しました。

金融危機の最中に誕生した政権ですから内政には課題が山積しています。そうした内政の難しさを振り払うようにオバマ大統領は外交・安全保障政策でこれまでのアメリカ大統領が誰も言わないような大胆な転換を表明しました。2009年4月、チェコのプラハで「核廃絶」を訴え、さらに6月にはエジプトのカイロで「イスラムとの和解」を演説したのです。ブッシュ政権時代のアメリカとは対極の外交・安全保障政策が表明されました。(続く)