(86)国民主権を阻む壁―1

多くの日本人は日本を「民主主義国家」と思っています。日本には複数の政党があり、定期的に選挙が行われ、国民の意思が政治に反映される仕組みがあるからです。しかし仕組みはそうであっても、国民の多くは自分たちの意思が政治に反映されているとは思っていません。国民は政治に常に批判的な目を向けています。

民主主義とは国民に主権があるという意味ですから政治権力を作るのは国民です。選挙で選ばれた国民の代表が権力を握り国家を運営します。従って国民の多数と政治権力とは一体の筈なのですが、国民は「国民主権」を実感していません。何故でしょうか。

実は選挙で選ばれた政治権力以上に強い権力が存在し、国民から選ばれた権力がそれに従属させられてきたという事情をこれまで述べてきました。官僚とアメリカという権力が日本を支配してきた事実です。昨年の衆議院選挙で国民から選ばれた民主党政権は「官僚主導からの脱却」や「対等な日米関係」をスローガンに掲げましたが、そこには「国民主権」を実現しようとする政治姿勢が現れています。

ところが民主党政権は誕生直後から「政治とカネ」と「普天間問題」で迷走させられました。前者は官僚権力からの攻撃であり、後者はアメリカという権力に勝てなかった話です。そして参議院選挙で民主党は大敗しました。すると「ねじれ」の問題が浮上して政権運営が難しくなり、昨年の衆議院選挙で民主党が国民に約束した政策の実現も困難になりました。

昨年の夏に主権者国民が選んだ政策が効果を発揮する間もなく、1年も経たずに変更を余儀なくさせられるというのは、官僚とアメリカの存在だけでなく、日本の政治構造そのものにも問題があるのではないかと思わせます。そこで日本の政治構造について考えてみようと思います。当面「ねじれ」が問題になっていますから、まずは二院制の問題です。

二院制には多様な意見を尊重する意味と、物事を慎重に決めようとする意味があります。そう言うと二院制は民主主義に合致していると思われがちですが、戦後独立した国の多くは一院制で、また二院制から一院制に移行した国もあるなど、必ずしも二院制が民主主義的で一院制が民主主義に反する事にはなりません。

因みに先進民主主義諸国で構成されるOECD(経済協力開発機構)30カ国中二院制を採用しているのは17カ国で半分よりやや多い程度です。二院制の欠点は日本の「ねじれ」が象徴するように、下手をすると物事を決められなくなり政治が停滞してしまう事や、多数の議員を必要とすることで税金の負担も大きくなります。

二院制を採用している代表国にアメリカとイギリスがあります。アメリカの二院制は多様な意見を尊重する仕組みです。下院は国民の代表ですが、上院は州の代表です。下院議員の任期は2年、小選挙区制で選ばれますが、1票の格差がないように10年毎に選挙区の区割りが調整されます。下院は予算の発議権を持ちますが、立法権は上下両院とも同等です。

これに対して上院は人口に関係なく各州から2人選出されます。任期は6年で下院議員と同時に三分の一ずつが改選されます。定数が100人と人数が少ない事もあって上院議員には重みがあります。条約の批准や大統領指名人事の承認権は上院だけが権限を持ちます。アメリカと同様に連邦制をとるドイツやカナダ、オーストラリアなども国民の代表と州の代表による二院制です。二院の違いは明確です。

一方イギリスの二院制は物事を慎重に決めるという仕組みです。立法権は国民から選挙で選ばれた下院にありますが、下院が暴走しないように世襲の貴族院が監視します。ただし選挙で選ばれない貴族院に下院の決定を覆す力はありません。異議を唱えるだけです。それでも異議を唱える事で下院の暴走を押さえる一定の効果はあります。しかし力関係から言えば事実上の一院制と言えなくもありません。

日本の二院制はこのいずれとも異なります。多様な意見を尊重する仕組みなのか、慎重に決めるための仕組みなのかが分からないのです。そして日本国憲法は衆議院に様々な優先権を認めているのですが、政治権力の死命を制する力を参議院が持つという大問題も抱えています。(続く)